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青森県津軽地方から秋田へ、そして能登半島を経て山陰路へ。奈良の唐招提寺から障壁画を依頼された画家、東山魁夷が写生の旅へ出たのはほぼ半世紀前の冬である。鑑真和上の像を安置する御影堂のメインの空間を荒々しい波と岩で厳かに飾ろうとしたのだ。

このほど数年にわたった堂の修理が終わり、一室で久しぶりに並んだ鑑真像と巨匠の絵を拝観した。10年に及ぶ6度目の挑戦で来日を果たした鑑真だが、その時、すでに失明していた。日本の海原を見ることはかなわなかったに違いない。岩を砕き、打ち寄せる波の姿は、高僧のゆるがぬ意志をたたえているように思える。

かつては、さまざまな教えや文物が命懸けでもたらされた海だが、今は、かなり物騒な場ともなってしまった。

先月は中国の爆撃機や空母が東シナ海に出没し、画伯が日本の原風景を追い求めた海岸のはるかかなたでは、北朝鮮がミサイルを頻繁に撃つ。ロシアからは不審な機も洋上を旋回して、まさに「波高し」である。

こんな情勢に政府は「骨太の方針」に「5年以内の防衛力の抜本的強化」を盛った。自民党参院選の公約に国内総生産比2%以上を念頭におくと記している。10兆円規模だ。地球儀ではさして広くもない海を囲む国々の競り合い、どこへ進むか。海があったゆえ生まれた交流の象徴のごとき寺を思い、嘆息しきりである。