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公選院、特議院、公議院、などなど、意見百出だったらしい。戦後まもなく、新しい議会制度を設計するときの話である。皇族や華族で構成していた貴族院に代わる第二院の名前をどうするか。当時の憲法問題調査委員会の議事録には「参議院アタリガ無難」とある。

中身は二転三転した。当初は任命制や職能代表の議会とする案も有力だったという。しかし結局、まったく新しい存在に生まれ変わる。そこにはGHQ連合国軍総司令部)の意向ばかりでなく、戦後国民の熱い思いが宿っていただろう。その第1回選挙から75年。民主主義が脅かされるなかでの、きのうの投票日だった。

凶行に動じぬ気構えで一票を投じた人も多かったに違いない。結果は下馬評どおり自民党が大勝し、立憲民主党などの存在感はまた低下した。だからといって、有権者が岸田首相に白紙委任状を渡したわけではないはずだ。民主主義を守り抜く覚悟があるか。経済再生への道筋を描けるか。淡い期待の賞味期限は長くない。

75年前の参院選では作家の山本有三、女性運動家の奥むめお歴史学者羽仁五郎ら、理想に燃えた候補者がたくさん当選した。そんな歴史を刻んだ縮刷版をひもとけば、投票率ではなく棄権率という言葉が見える。棄権が少数派だったからこその表現だろう。いまや、政治の無関心がこの国の「危険率」を高めている。

 

凶行に動じぬ気構えで投票した人も多かったに違いない。きのうの参院選は下馬評どおり自民党が大勝し、立憲民主党などの存在感はまた低下した。しかし、だからといって有権者が岸田首相に白紙委任状を渡したわけではない。民主主義を守り抜く覚悟はあるか、経済再生への道筋は描けるか。淡い期待の賞味期限は長くない。75年前の第1回選挙では理想に燃えた候補者がたくさん当選した。投票せずに棄権するのは少数派だったという。いまや、政治の無関心がこの国の「危険率」を高めている。