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高速増殖炉の真上をホバリングするヘリコプター。犯人の要求は国内の全原発を使用不能にすること。拒めばヘリは墜落し原子炉を直撃するという。2015年に映画になった東野圭吾さんの「天空の蜂」は原発の「安全神話」の虚をついたサスペンス小説だ。

刊行されたのが1995年。当時はさほど話題にならなかったようだ。が、福島第1原発の事故後に改めて読み返すと、作家の慧眼に感服した。モデルになったもんじゅは今、廃炉の途上にある。1兆円を投じたのにほとんど稼働しなかった。使った燃料以上の燃料を生み出すと喧伝された「夢の原子炉」は儚くも幻と化した。

岸田文雄首相は長く封印されてきた原発の議論を再開し、新設や増設の検討を指示した。腹をくくったのかと思いきや、「革新軽水炉」なる専門家でも馴染みが薄い用語が登場した。候補にあがる新技術の性能を見る限り「革新」より「改良」という言葉の方がふさわしい。まさか地元の説得に好都合と慮ったわけではあるまい。

原発の安全や安心は、一足飛びには進化しない。私たちは福島からそう学んだ。現実から目を背けずに「危険の存在を認め、危険と正対して議論できる文化をつくる」。失敗学の提唱者で政府の原発事故調のトップを務めた畑村洋太郎さんの戒めである。夢や革新といううわべだけの言葉は原発の前進に邪魔になるだけである。