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36年前のきょう、チェルノブイリ原発4号機の原子炉が爆発した。直後に駆けつけた消防士は大量の放射線を浴び、むごたらしい姿で死んでいく。付き添いたい、と頼み込む妻に看護師は言った。「ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ。一緒に死んじゃうわよ」。

ノーベル賞作家、アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」(松本妙子訳)に採録された証言の一つだ。遺体は埋葬の際、亜鉛の棺に納められハンダ付け、さらにコンクリートで覆われた。「石棺」にされたのは原子炉だけではなかった。「人間であること」を奪われた幾つもの命が理不尽に道連れにされた。

なぜ、どうして。誰もが知りたいと願った。事故の原因は当初、運転ミスで片付けられていた。1991年、ソ連の崩壊を前に隠された秘密が明るみに出る。原発の設計段階から致命的な欠陥があり、事故は起きるべくして起きた。それを知りながら国家としての体面を守ることを優先し隠蔽した政治と官僚主義の罪は重い。

だが、私たちの胸に本当に長く深く刻まれていくのは事実を列挙した公式文書の文章ではない。作家が書き留めたような証言者一人一人の言葉だろう。先の消防士の妻は変わらぬ夫への思いで悲惨な体験を語り終える。「私がどんなに愛していたかお話ししたんです」。記憶の風化に耐えるのは生身の人間の真情である。