12/29 駅舎の重さと軽さ

れんが造りの東京駅は今から108年前の12月20日に開業した。その2日前、式典の当日は朝から打ち上げ花火の音がとどろいたという。1500人を超える招待客に、見物目当ての市民が駅前の広場にひしめく。そこへ、陸軍中将の神尾光臣らをのせた列車が着いた。

国民を熱狂させた「青島陥落」の立役者である。欧州で第1次世界大戦が勃発すると、日本は中国大陸への侵出をはかり、ドイツ軍下の租借地を襲う。完成まもない東京駅は、ドイツ国旗を除いた万国旗がはためく戦勝祝いの舞台となったのだ。仮設の凱旋門をくぐり、馬車で皇居をめざす中将を万歳の大合唱が見送った。

年の瀬の東京駅が、にぎわいを取り戻しつつある。もちろん「国家の威信」めいた華々しい雰囲気や国民総出の祝賀ムードに沸いているのではない。3年ぶり行動制限なしの年末だ。帰省の土産を手に家族が列車を待つ。外国人のグループが新幹線を背にポーズをとる。みなマスクの向こうで静かに顔をほころばせている。

駅舎という建物は「重さと軽さ」をあわせ持つ。建築史家の藤森照信さんの見立てだ。国や都市の表玄関としての記念碑性、そして庶民の通用門的な大衆性。戦時は軍需の要にもなる。しかし安らかに行き来できる門であれ。今年はいっそう強く願う。町の中央駅が爆撃の危険にもさらされる、欧州の国に思いを寄せつつ。