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・創刊101年、かつては開高健の「日本人の遊び場」、司馬遼太郎街道をゆく」、池波正太郎「食卓の情景」など名作を連載した「週刊朝日」が5月末で休刊するという。

 

開高健の残したルポルタージュのひとつに「日本人の遊び場」がある。作家は高度成長で沸く列島のあちこちを飛び回り、大阪・道頓堀の「くいだおれ」、若者で埋まる湘南の海水浴場、人いきれの充満する船橋ヘルスセンターなどの表情を活写した。

週刊朝日」に連載された作品は、いま読んでもイキがいい。毎週、疾走感あふれるルポを書くのは大変だったはずだが、読者の熱気とともに筆を走らせたのだろう。週刊誌が大いに売れた時代らしい読み物である。司馬遼太郎の「街頭をゆく」も、池波正太郎の「食卓の情景」もこのメディアが舞台だった。

創刊101年の、そんな雑誌が5月末で休刊する。社会問題から人気作家の連載まで取りそろえた総合週刊誌の雄も、近年は部数を減らしていたという。名編集長として知られる扇谷正造は、硬いテーマを柔らかく料理する「シュガーコート編集法」を唱えた。そんな工夫が読者を楽しませた文化の衰退でもあろうか。

身につまされる話だから閑話休題。くだんのルポを書いた開高は、「週刊朝日」にすっかり才能を見込まれ、続編ともいえる「ずばり東京」を1年ほど連載した。そして、わずか3週間後には同誌の臨時特派員として戦火のベトナムへ旅立つのである。国際電話による雑音混じりの送稿を、編集部は必死に聞き取ったという。