3/12 マスクを外すかつけるか

時々お昼を食べる店で、長らくテーブルに置いてあったアクリル板が撤去されていた。よく見ると入り口の検温装置もなくなっている。「コロナ後」の新様式がじわりと浸透しているようだ。仕切りがないと食事中に不安になるかとも思ったが、存外気にならなかった。

明日からマスクも自由化だ。さて、外すならどの場面か。そんな思案をしていたところ子供の小学校の卒業式案内が届き、おやっと思った。児童はマスクなし、担任もつけない。一方で保護者には「着用をお願いします」。文部科学省の通知に沿った対応のようだが、個人判断だったはずなのにと少々もやもやが残った。

着用が急減すれば、東京の新規感染は5月に1万人前後に増えると試算する専門家もいる。ウイルスはなお健在だ。式典中にもめごとが起きても困るので、ひとまずマスク着用にしておこう。そんな判断があっても不思議ではない。ともあれ当面は方々で手探りが続くのだろう。

スペイン風邪が主題の菊池寛の短編に、空気を読まずマスクを着け続ける若者を「不快だ」と描く場面がある。「自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居ることを、此(こ)の青年は勇敢にやって居る」(「マスク」)。この国の同調圧力百年一日のようだ。もっともこの際、快も不快もあるまい。お互いの判断を大事にしたい。