4/15 社会とファッションの共振

文学評論家の平野謙は明治大で教えるかたわら、早稲田に出講していた。1965年の春、その教室に現れるなり、女子学生の姿を認めて言い放ったという。「政経学部は男ばっかりだったから、私は好きだったんだ。それが女も入ってくるようになって…不愉快だ」。

コラムニストの中野翠さんが「忘れようにも忘れられない」と往時を振り返っている(「あのころ、早稲田で」)。学部全体で女子は10人ほどの時代。黒い学生服やアイビールックの男子に囲まれて、女子は肩身の狭い思いをしていた。しかし、やがて変化が訪れた。スカートの丈がどんどん短くなっていったのである。

「革命」の火付け役となった英ファッションデザイナー、マリー・クワントさんが93歳で亡くなった。70年代はじめの世界的ブームは20世紀最大級の事件といっていい。67年にモデルのツイッギーさんが来訪し、ブームは加速する。街に氾濫したミニは、古い規範や束縛からの解放を象徴していただろう。

「六〇年代の入り口は小春日和、出口は嵐」と中野さんは回想する。若者が声を上げ、スカート丈も入学時と卒業時では「一〇センチくらい短くなっていた」。仕掛け人の思惑を超え、社会とファッションは共振したのだ。ちなみに平野謙は78年まで明治で教壇に立ち続けた。とても放言などできなくなっていたに違いない。