1/17 チリと阪神の教訓

手記はこう始まる。「昭和35年5月24日。朝6時過ぎ、わたしは異様なざわめきに目覚めた」。場所は青森県八戸市。騒ぎは、浜の方から聞こえてくる。「津波だ!」。跳び起きて、通りへ出ると家財道具を積んだ3輪トラックやリヤカーが次々と高台へ向かっていた。

地球の裏側の激しい揺れが、ほぼ1日後に東北地方などへ津波となって襲った「チリ地震津波」である。日本付近では揺れがなかった上、早朝の不意打ちで被害は拡大。死者・不明者は140人を超えた。明治以降、2度の大津波に遭った地域だが、不幸にも、遠方の地震との関わりについては、知見が乏しかったようだ。

今回のトンガ沖の大噴火と日本の津波の関わりも、不明な点が多い。当初、気象庁は「若干の海面変動がある」としていたが、波の変化は到来が早かったうえに大きく、津波警報や注意報も長い間出続けることになった。噴火の数時間後には、列島各地で数ヘクトパスカルの気圧の上昇が観測されているといい、今後の分析が待たれる。

チリ地震は世界各地に被害をもたらし、日本も参加する国際的な警戒ネットワークの構築の契機となった。きょうで27年の阪神大震災でも尊い犠牲の上に得た幾多の教訓が、防災の基礎固めに役立っている。今回も噴火と潮位の変動のメカニズムが解明できれば、新たな減災につながるはずだ。「備え」に終わりはない。