3/6 パラリンピックと平和

パラリンピックの生い立ちは戦禍と深くつながっている。精神科医のルートヴィヒ・グットマンが、前身となるストーク・マンデヴィル競技大会を開催したのは1948年。参加した選手は16人。第2次世界大戦で脊髄を損傷し、下半身がまひした元兵士たちだ。

生みの親自身、迫害を受けドイツから逃れたユダヤ人という。医師免許を奪われ、同胞への理不尽な暴力を目の当たりにし、やむなく英国に渡る。そこで治療に当たっていたある日、車いすでポロを楽しむ患者を見て、スポーツの可能性に気づく(福音館書店パラリンピックは世界をかえる」)。平和の祭典の原点である。

それから70年余を経て、規模も華やかさも桁違いとなった大会が幕を開けた。選手の奮闘に力をもらいながらも、すっきり晴れやかな気分になれないのが残念だ。理由ははっきりしている。欧州で鳴りやまぬ銃声が北京の競技会場にも届いているかのようだ。おとといの開会式に臨んだウクライナ選手団に笑顔はなかった。

前述の「パラリンピックは世界をかえる」にパラアスリート、タチアナ・マクファデンさんの言葉が紹介されている。6歳までロシアの児童擁護施設で育ち、米国に渡った車いすレーサーだ。「あなたは、あなたの望むどんなものにもなれる力を持っている」。みなが平和を望めば必ず実現する。そんな声援と受け取った。