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「アスリートファースト」なる言葉が使われるようになったのは、この10年ほどのことだろう。オリンピックなど国際的なスポーツ大会の運営は、何より選手第一に。耳に心地よいからみんなが口にするが、さて、これほど現実と離れたキャッチフレーズもあるまい。

コロナ禍と酷暑のなかで開かれた今夏の東京五輪パラリンピックは、そんな矛盾を見せつけた。そして北京の冬季大会は、ずっと深刻な問題を抱えて1ヶ月あまり後に開幕する。人権抑圧に世界の厳しい目が注がれる中国での開催自体が、アスリートファーストに影を落とすのだ。壮大な、しかし祝福されない祭典である。

きのう日本政府は、大会への政府代表団の派遣を見送ると発表した。遅ればせながら米国などの「外交ボイコット」に足並みを揃えた格好だが、こういう空気のなかで競技に臨む選手らの違和感はいかばかりか。国威発揚のための五輪も、国と国との駆け引きのための五輪も、アスリートを戸惑わせるだけだろう。

「オリンピックには魔物がいる」。この言葉も近年、よく聞くようになった。磐石だったはずのスターが惨敗し、名もなきプレーヤーが競技場を圧倒する。およそ五輪に番狂わせはつきものだ。それだけでも選手の重圧は大きいのに、もっと生々しい魔物たちが、聖火もともらぬうちから我が物顔にふるまっている。