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徳川幕府の「生類憐みの令」は最初のころ、それほど厳格ではなかったと言われる。しかし将軍綱吉はこの政策に固執し、お触れを頻発した。やがて魚釣りもダメ、鳥を飼うのもご法度とエスカレートしていく。将軍の権威を笠に着る役人たちは取り締まりを競った。

上層部は自縄自縛に陥り、現場はその意を増幅する。いま、中国で起きていることも似たような話かもしれない。習近平政権は新型コロナ対策で人口2500万人にのぼる上海市のロックダウンを続け、影響が深刻化してきた。食料不足などで住民の不満は募り、SNSには当局の批判も目立つという。

感染者が増えても重症化例は少ない。ウイルスが「オミクロン型」に変異し、この傾向は顕著だ。なのに、中国だけはいったん決めた「ゼロコロナ」政策にこだわり、身動き取れない様子である。修正した場合の権威の失墜を恐れているに違いない。人間も経済も疲弊させる不合理を押し通す倒錯ぶりに、ため息が出る。

強権主義国家は有事の危機対応に優れるという指摘を、ときどき聞く。しかしこの展開を見れば落とし穴はくっきり浮き出ている。メンツを潰されたくない政権が、方向転換に踏み切るのはいつの日だろう。感染者の飼うペットが殺されたというケースまであるというから、さしずめ「生類憎しみの令」。過ちを改めるときだ。