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いまのウクライナ辺りに住んでいた古代スキタイ人が、ペルシャ王に4つの絵を送りつけた。鳥、モグラ、カエルと5本の矢。鳥のように飛べるか。モグラのようにもぐれるか。カエルのように跳べるか。できないなら、我らの矢の前に降参せよ。そんな意味だった。

スキタイは好戦的で不敗の民と恐れられた。絵手紙を受け取った敵は震え上がったことだろう。文字を持たなかったので謎も多い。いっぽう草原で馬を飼い、穀物を収穫して周辺の民族とさかんに交易もした。シカやトラなどを大胆にデフォルメした黄金の美術品が、ギリシャやアジアとの活発な交流をものがたる。

19世紀以降、古墳から出土したこれらは盗掘者のえじきとなる。金銀のかたまりに鋳つぶされるのを身をもって防いだのは国境を越えて集まった考古学者たち。とりわけ第2次世界大戦前後のソ連の学者の研究が歴史の多くの空白部分を埋めた。立役者の一人、I・B・ブラシンスキー氏が著書「スキタイ人の黄金遺宝」に記す。

「河のように流れた血から なにが無事に残り なにが我々につたわったか」。この地で繰り返される人の蛮行をロシア人の詩人チュッチェフは嘆いた。「抵抗を続ければ全滅させる」。ウクライナに対するロシアの非情な通告を聞いて思う。スキタイは敵の頭皮をはがし血をすすったという。何千年かけて人は何を学んだか。