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とても甘いお菓子だったという。砂糖も蜂蜜もたっぷりだと、昔の新聞記事にある。福島県大熊町にあった「原子力最中」だ。東京電力福島第1原子力発電所が営業運転を始めた1971年に地元の和菓子店が売り出し、あの事故が起きるまで、ときどき話題になった。

もなかの皮に、原子炉建屋がデザインされていたそうだ。産業に恵まれずにいたこの地域にとって、原発がいかに大きな存在だったかを示していよう。国策に協力し、首都圏に電力供給を担い、その見返りを受ける。発電所の立地に伴う交付金などで、たしかに財政は潤い、人々は出稼ぎの労苦から解放された。

2011年の苛烈な事故は、そういうシステムに組み込まれた住民の暮らしを、地域ごと奪って現在に至る。各地に避難した人たちが起こした訴訟で、最高裁はきのう、国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。原発を動かすのは国策だが、事業はあくまで民営。その曖昧さを司法を乗り越えられなかったのだろう。

1人だけ同調しなかったのは、検察官出身の三浦守裁判官である。「『想定外』という言葉によって、すべての想定がなかったことになるものではない」。巨大地震に対して、国を含めた備えの甘さを憂えた反対意見だ。あれだけの事故を経験しながら、原発を巡る日本の議論はいまも詰めが甘い。くだんのお菓子よりも。