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東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。10月1日開館の震災伝承館「南三陸311メモリアル」を、おととい一足はやく見学した。「命を守る難しさを伝える。目的はこれに尽きる」。佐藤仁町長らの強い思いで完成にこぎつけた施設だ。

町民たちの壮絶な体験をもとに「自分ならどうするか」を考えてもらう。津波到達まで最短5分。避難するのに10分かかる高台に逃げるか、屋上に上がるか。児童の命を預かる小学校校長の証言が映像で流れ、判断を迫る。映像は続く。学校は屋上もろとも津波にのまれた。避難先の高台も水に囲まれ孤島同然になる。

なにより町長自身が数々の「想定外」に苦悩した。南三陸町は1960年のチリ地震の教訓を防災計画に生かした。しかし11年半ほど前のあの日、78の指定避難所などのうち34カ所を津波が襲った。当初の津波予想は高さ6メートル。高さ12メートルの防災対策庁舎に15メートル強の波が押し寄せる。町長は屋上で命拾いした10人の一人だ。

全国から届く励ましの手紙。一片の折り鶴にどれだけ力をもらったか。その感謝の気持ちを防災教育の拠点に込めたという。津波の記憶を心に閉ざす町民にも頭を下げ、証言を依頼した。豪雨、台風と絶えることない自然災害への備えを「自分ごと」ととらえてほしい。南三陸から日本各地への貴重な恩返しである。