10/25 習近平政権3期目

マオタイ酒のふるさと、中国の南西部、貴州省に遵義という街がある。中国共産党の聖地のひとつだ。1935年、国民政府の攻勢に退却を強いられる中、ここで重要な会議があった。農村を根拠地とする戦術を唱えた毛沢東が支持を集め、主導権を確立したのである。

「遵義会議」という。旧ソ連の指導組織に従う一派は批判され、以降、毛の路線で改革は勝利へ進んだとされる。毛神話、始まりの地である。実際、そんな事績にあやかろうとしたのか。このほど異例の3期目の政権を発足させた習近平総書記も、1期目のときにこの地を訪ねて、会議の参加者の彫刻が並ぶ記念館を見学していた。

それにしてもご利益が効きすぎた感はあるまいか。かつての建国の父にも似た個人への権力集中ぶりである。新たな指導部は習氏の側近や子飼いで固められ、トップをいさめる存在は見当たらない。年齢的に後継者の候補もおらず、さらなる長期政権の予感さえ漂う。国際社会を左右する大国のかじ取り、危うくはないか。

中国共産党史に詳しい石川禎浩さんの著書によると、毛沢東は晩年まで遵義での思い出を好んで語ったそうだ。当時の自分を、仏教で衆生を救う菩薩に例えることもあったとか。習氏もみずからをいっそう別格化するのではとの憶測も流れる。菩薩ならまだしも、個人崇拝という魔に魅入られた鬼神へと変身するのはご免である。