4/5 新社会人と庭仕事

週末の郊外のホームセンターは、花の苗木を品定めする人で大にぎわいだった。明るい黄色のパンジーやピンクの八重咲きのベゴニア。あでやかな花に目移りしつつも、結局、スミレの鉢を買い求めた。まだ花はない。うつむき加減の固いつぼみがいくつもついている。

人はつぼみを見ると、ぶじに花開くのを見届け、愛でたいと思うものだ。明治の画家、鏑木清方は春先の庭の梅を飽かず眺めて暮らした。「蕾のうちは無数の星に似て、花開くと白いうちにも心もち黄ばみをもったのが、朱のように赤い萼をつけて、仰げば瑠璃の青空に象嵌をちりばめたとも見える」(随想「庭樹」)

この季節、多くの職場が新社会人たちを迎えたことだろう。コロナ禍の長い行動制限に耐えて青春を過ごした若者たちだ。新しい生活や仕事にも、ぎこちなさはあろう。しかし、昨日できなかったことが今日できるようになる。そんな小さな手応えを積み重ね、彼らが大きく咲き誇ることができるよう心をくばりたい。

いたわったつもりが、かえって木をいためることになったりする。清方は庭仕事の難しさを嘆きつつ、こう続ける。伸び放題の枝を刈られた若木が勢いを取り戻し、老樹の小枝の先までつけたつぼみが一つ二つと実を結ぶ。適度に手を入れ、ときに見守る。「庭樹に栄えあれ」。人と人が織りなす組織も庭と同じようなものだ。