3/11 震災の記憶

折れ曲がった鉄筋。流され積み重なった自動車。汚れたままの本、学習道具、家電製品。11年前のきょう、東日本を地震津波が襲った。その被害状況の一部をそのまま残し、展示する施設が東北各地に生まれている。震災遺構である壊れた校舎を用いたところも多い。

亡くした家族を思い出す。費用はどうする。さまざまな議論を経ていくつかの遺構が残り、遺族が上映用の映像でつらい体験を語る。思いが詰まった展示施設といえる。「器はできた。あとはどう生かすかです」。地元の方の静かな決意を思い出す。いずれ多数派になる震災未体験の世代に、地域の記憶を伝えるだろうか。

1985年生まれの社会学者、古市憲寿さんは初めての国や地方で、戦争の博物館に足を運ぶ。自分が戦争を知らない世代だからだと著書「誰も戦争を教えてくれなかった」に記す。災害と戦争はあらがい難い力で人々の生活を壊す点で共通し、こうした負の歴史を伝える施設は過去との対話を促してくれる場だと説く。

災厄の記憶も時間とともに薄れ、同じ過ちを繰り返すリスクは高まる。震災遺構や博物館は記憶の風化に抗う試みのひとつだ。ある元校舎の解説で、こんな言葉を見た。多くの子どもが学び、犠牲になった。今ここは、「いのちについて考える場所」になった。失われた命の重みをどう受け止めるかで、未来も変わる。