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詩人、長田弘さんの昭和末期の詩集に「食べものにはね、/世界があるんだ」と説き起こす一編がある。食べもの一つ一つに「生きられた国」があり、パンならその種類だけ国がある。そして「真っ赤なビートのスープの中には/真っ赤な血を流した国がある」。

ビートでつくる赤のスープといえば、ボルシチのことだ。今でこそロシア料理を代表する一皿だが、もとはウクライナの郷土料理だ。レシピの幅をさまざまに広げながら、ロシア各地に溶け込んだという。お隣同士、豊潤な食文化を培ってきたはずなのに。今日の惨禍をも見通したかのような詩の響きが苦しい。

理不尽な侵攻は2ヶ月を超えた。大勢な犠牲に加え、激戦の街に取り残された住民の食料不足も深刻だ。ロシア軍が「兵糧攻め」を狙い、食料の保管庫などを破壊していると伝わる。国連による仲介の試みも始まったものの、モスクワの指導者は依然、温かいボルシチを口にできない子どもらへの想像力を欠いたままのようだ。

無謀な戦争で人々が飢える。思えばかつて私たちもそんな轍を踏んだ。きょうは昭和の日、激動の時代を顧みる日だ。終戦を5歳で迎えた詩人は、戦地の兵士の手記を引いた詩も書いている。「子どものやうに食べものを食べたい。甘いものがほしい」。ごく当たり前の願いが誰にでも叶う世界が、なかなかやってこない。