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・ペレ氏が逝去した。サッカーをサッカー以上のものに昇華させた、まさに偉人だった。

 

母国ブラジルでサッカーW杯が開かれた1950年、9歳のペレ氏にその模様を届けたのはラジオだった。音声のみの中継に「魔法のような魅力」があったと自伝で語っている(伊達淳訳)。後のプレーで示す卓越した想像力と知性は、もう育ち始めていたのだろう。

その圧倒的な突破力に対してラフな行為が増えたことを背景に、イエロー・レッドカード制が導入された。シュートがゴールラインを越えていないのに、主審が「あれだけ見事なプレーだからゴールにしてあげたい」と得点にカウントした。時に笑い話かと思うほどの伝説をあまた残してきたキングが、闘病の末旅立った。

貧しかった幼少期、盗んだピーナツを売ってユニホーム代にあてたと明かしている。3度のW杯制覇後、自分に足りないのは教育だとして、プロ選手として活動しつつ大学で学んだ。貧困をはじめ社会問題に向けたまなざしも多くの人の印象に残った。サッカーをサッカー以上のものに昇華させた。まさに偉人だろう。

還暦近くに英国で名誉爵位の称号を受けた。エリザベス女王は「リバプールでプレーするつもりはないか」と冗談を飛ばしたという。その女王も今年、生涯の幕を閉じた。全てがネットで中継されたカタール大会の余韻が、はるばる世紀をまたいできた巨星の足跡を際立たせるようである。静かな年の瀬、思いをはせる。