5/7 見守られる能登半島

ウェブサイトで、その空き家バンクをのぞいてみたら、土地柄のにじむ家の数々があらわれた。黒瓦と下見板張りの漁師町の家、田園地帯にある茅葺古民家。石川県珠洲市は移住者を増やすさまざまな施策を打ち出していて、20〜30代の若者の関心も高いという。

人口およそ1万2000人。能登半島の先端で三方を海に囲まれ、特色ある建築で知られる。強い季節風が吹く日本海側とおだやかな富山湾側。黒瓦は太陽の熱を集めて雪を解かす。地産の杉材を横方向にはる下見板張りは塩害を防ぐ工夫だ。内陸の農家には脱穀ができる大きな土間。どれも生活の知恵が生んだ。

能登半島震源とするおとといの地震で、珠洲市震度6強を観測した。2020年末から地震活動が続き、これまでに震度1以上の地震が300回を超えたという。瓦が落ちてかたむいた板張りの家が映像に映っていた。県外から帰郷した人も、観光で訪れた人もいただろう。こどもの日の午後が、大きく揺れた。

空き家バンクを教えてくれたのは、毎年、梅の実が熟すころに能登を訪れる東京の知人だ。馴染みの農家で収穫を手伝い、持ち帰る梅を干したり酒に漬けたりしている。「能登はやさしや土までも」。古くからこう例えられる、この地方のファンは少なくない。余震の不安にかられる地元の人々を、彼らも見守っている。

5/6 武器をもたない人たちの記憶

休日で人が行き交う靖国通りから横道に入り、「しょうけい館」(東京・千代田)を訪ねた。太平洋戦争で負傷した人の資料などを展示するこの施設に来ると、戦いが何をもたらすのか知って慄然とする。いまは企画展「戦傷病者を支えた女性たち」を開催している。

テーマの一つが、戦地の病院などで救護にあたった「従軍看護婦」の体験記だ。命の危険と向き合いながら彼女たちが目の当たりにした光景が、誇張を排した表現でよみがえる。勇ましい戦いの物語よりも、武器を持たない人びとの証言のほうが戦争の実像を私たちに伝えてくれることがある。子どもたちの体験もまた同様だ。

「ぼくたちは戦場で育った」(ヤスミンコ・ハリロビッチ著)はボスニア紛争のもとで幼少期を過ごした人の証言集だ。地下室で友情を育む様などが心を打つが、辺りを覆っていたのはやはり死の影だ。「恐怖、恐怖、また恐怖。血、血、さらに血」。彼らの見た「すさまじい地獄」はいまもこの地上から消えていない。

日本人が連休を過ごしているさなかに、遠いモスクワでは大統領府がドローンで攻撃されて衝撃が広がった。真相について様々な説が飛び交うなか、ロシアは報復をちらつかせる。だがウクライナの民の命を奪い続けたこの戦争も、いつかは終わる日が来る。そして痛ましい記憶の数々が、侵略者をいつまでも裁き続ける。

5/5 コロナの厄払い

近所のスーパーに、梅酒づくりに使うホワイトリカーや氷砂糖が並び始めた。風物のすがすがしい季節、店先の目立つ所に菖蒲が顔を出すのもこの時期ならではだ。刀のごとくのびた長く太い葉がりりしい。こいのぼりのイラストが添えてあったのがかわいらしかった。

こどもの日とひとくくりにされがちなきょう端午の節句だが、古くは悪疫退散を祈願する儀礼の日だった。推古天皇が611年5月5日、臣下を率いて「薬猟(くすりがり)」に出かけたと日本書紀にある。生薬になる鹿の角や、菖蒲などの薬草を集めるのだ。旧暦5月はすでに夏。高温と多湿が運ぶ疫病は、そのまま命への脅威だった。

香気の強い菖蒲は、とりわけ邪気を払う力が強いと考えられたようだ。「今後は菖蒲のかずら(頭の飾り)をしない者は宮中に入れてはならぬ」。天平期の8世紀にはそんなお触れまで出た。今風に言うなら薬草のフェースガードか。湯船に入れたり、軒にかけたり。千年余にわたり息災の祈りに寄り添ってきたのだろう。

令和を襲った疫病も長いトンネルを抜けようとしている。連休明けからはいよいよ「普通の病気」だ。怖がりすぎず油断もせず、社会経済を回していくことになろう。日本酒メーカーのサイトに菖蒲酒のレシピが載っていた。根元をそぎ切りにして杯に放つ。試すと爽やかな香りが鼻に抜けた。厄を払って、前へ進みたい。

5/4 教員の大型連休

その家に住みついた猫は、飼い主を冷静に観察する。「人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて務まるものなら猫にでも出来ぬことはないと」。夏目漱石出世作「我が輩は猫である」のよく知られた一節である。苦沙味先生は、旧制中学の英語教師なのだ。

批評精神に富む猫さんは、この教師を「太平の逸民」と呼ぶ。裏表のない気質は美点だが、とにかくお気楽、という意味だろう。勤勉のように見せかけて実は昼寝ばかりしている。読みかけの本に、よだれをたらす始末だ。学者の友人や、かつての教え子たちと滑稽な座談に興じる日々だ。よほど暇なのか。今は昔の物語だ。

風薫る大型連休である。現代の公立学校の教師たちは、きちんと休めているだろうか。文部科学省の官製交流サイト「#教師のバトン」をのぞくと…。去年の今ごろ、切実なツイートがあった。「連休に出かけたことなんてほとんどありません。部活の試合があるからです」「新採用教員が辞めてしまいました」

文科省が公表した昨年度の教員の勤務実態調査によれば、平日1日の勤務時間は前回調査に比べ30分ほど短くなった。が、残業代が出ない長時間労働は続く。多忙で昼寝どころではない。猫の手も借りたい気分だ。連休明け、先生たちはどんな近況報告をするのだろう。役所の皆さんは、確認したほうがいい。

5/3 爆買いの先入観

「日本でいくら使う予定ですか」。空港に到着したばかりの旅行者に、テレビカメラのマイクが突きつけられる。口をついて出るのはおおむねなかなかの金額だ。頼もしく感じる一方、威勢良すぎではとの思いもふとよぎる。裏側の一端を明かす文章を読んだ。

観光ビジネス誌「週刊トラベルジャーナル」のコラムだ。訪日旅行を控えた中国の人たちが情報交換するSNS(交流サイト)がある。関心の高い話題が日本到着時に受ける取材だという。聞かれるのは買い物の予算。100万円と答えると喜ばれる。間違っても正直に10万円と言わなくていい。そんな発言が多いという。

「実際に100万円と答えたらすごく喜ばれた」との体験談も。要はリップサービスだ。執筆者は日中両国に拠点を構え、日本へのビジネス視察ツアーなどに長年携わる斉藤茂一さん。この種の質問を「気分が良くないと感じている旅行者も大勢いる」との指摘を受けたそうだ。「何とも失礼な質問」だと斉藤さんも思う。

新型コロナ禍前に比べ、中国人の訪日旅行への期待で歴史や伝統芸能、自然が大幅に増加したとの調査がある。中国人=爆買いとの先入観にとらわれていないか、気をつけたい。憧れの日本で感動にひたる間もなく、まず問われるのは使うお金――。中国以外の国でもそうした体験談が広まっていないかと少し心配になる。

5/2 LGBTをめぐるドタバタ

そろそろお客さんたちのくる時分だ。気を使う相手だ。ところが家の中は散らかり放題。万年床に下着なパジャマも…。といった場面が昭和のギャグ漫画なんぞによくあった。そういうときは何でもかんでも押し入れに詰め込み、すました顔で「ようこそ!」。

そんなシチュエーションを思い浮かべてしまうのが、性的少数者LGBT)らへの理解増進法案をめぐる自民党のドタバタだ。今月19日から広島市で主要7ヵ国首脳会議(G7サミット)が開かれる。それまでに、他のG7の国々と同様の法整備をーーという動きと反対論がぶつかり合い、収拾がつかなくなっているのだ。

法案は2年前に超党派議員連盟がまとめたが、国会提出は棚上げされてきた。自民党はそれからずっと議論をサボってきたのに、さあ来客となって大騒ぎなのだ。反対派は「性自認を理由とした差別は許されない」の文言などに抵抗しており、表現をぼかす案なども浮上しているという。お体裁ばかりの多様性尊重である。

いまや世界では、同性婚を認める流れが加速している。その手前の「理解増進」でこの混乱とは情けない話だ。そもそも選択的夫婦別姓でさえ、四半世紀あまり進展しないニッポンなのだ。不都合なあれこれを押し入れに隠したとしても、褒めてもらえるかどうか。うるさ型の面々は内情をとうにご承知かもしれない。

5/1 メーデーに祝うべきは

京都駅、平日朝8時の新幹線上りホーム。スーツ姿の人々が列車が到着するまでの短い時を共有していた。ふと耳のアンテナが一組の会話にチューニングされた。「…やねん」「わかる?」。会社の先輩らしき男性が初々しい様子の女性に語りかけている。

こうば(工場)という単語が聞き取れた。中小企業の社長さんが新入社員を連れて出張に行くのだろうか。「ありがとう、という言葉をいっぱいもらえる。そんな会社にしたいんよ」。男性は仕事に誇りを持っているようで、その思いを懸命に伝えようとする。女性は背筋をぴんと伸ばし相手の目を見て何度もうなずいた。

ともに働くものどうしに通う敬意と信頼を感じて清々しさに朝から気が晴れた。今日5月1日はメーデー。労働者の祭典として、休日とする国は多い。欧州では古くから夏の訪れを祝う日でもあるという。「ロボット」という言葉を世に送り出したチェコの作家、カレル・チャペックに「労働の日」と題したエッセーがある。

愛する庭仕事に託してこう綴る。「もしきみが何かを祝おうとするなら、きみのこの労働を祝うべきではない」。その手で育てたこの草花をこそ祝え、と。単に労働したことより「労働によって結ばれた果実を誇るべきだ」(「園芸家12ヶ月」小松太郎訳)。誰かが敷いた1本の道、自分で整えた食卓の肴を今日は祝おう。