5/22 ヒロシマでの追悼

「爆心地の対岸が公園でよかった。被害が少なくて済んだろうから」。原爆ドームの隣で生まれ育った映像作家の田辺雅章さんは以前、米国でかけられた言葉に耳を疑った。とんでもない誤解である。商店や劇場に人びとが集う賑やかな街並みだったのだ。あの朝までは。

熱線と爆圧は一帯をなぎ払った。戦後になって盛り土をした上に整備されたのが、いまの平和記念公園である。数十センチ掘れば、焼け焦げた遺構が現れる悲劇の地層だ。「靴を脱げとまでは言わないが、いまも犠牲者が眠っていることを思い起こしてほしい」。原爆で父母と弟を亡くした田辺さんは、痛切な思いをつづっている。

その場所をきのう、核の脅しにさらされるウクライナのゼレンスキー大統領が訪れた。電撃来日に警備のレベルは最高潮に達し、一般市民は公園に近づくこともできない。それでも大勢の人が防護柵越しに大統領の車列に手を振り、スマホで献花の中継に見入っていた。ヒロシマの地に立つ。それ自体が放つ発信力を思う。

ウクライナには同国なりの政治状況があり、来日した各国にもそれぞれ思惑があろう。すぐに理想に手が届くわけではない。だが、リーダーたちが広島で直に犠牲者を悼む光景が、世界の記憶に残るのも確かだ。核廃絶への新たな起点にしたい。きょうから「広島サミット後」の世界だ。岸田首相がギアをあげるのを見たい。