5/22 ヒロシマでの追悼

「爆心地の対岸が公園でよかった。被害が少なくて済んだろうから」。原爆ドームの隣で生まれ育った映像作家の田辺雅章さんは以前、米国でかけられた言葉に耳を疑った。とんでもない誤解である。商店や劇場に人びとが集う賑やかな街並みだったのだ。あの朝までは。

熱線と爆圧は一帯をなぎ払った。戦後になって盛り土をした上に整備されたのが、いまの平和記念公園である。数十センチ掘れば、焼け焦げた遺構が現れる悲劇の地層だ。「靴を脱げとまでは言わないが、いまも犠牲者が眠っていることを思い起こしてほしい」。原爆で父母と弟を亡くした田辺さんは、痛切な思いをつづっている。

その場所をきのう、核の脅しにさらされるウクライナのゼレンスキー大統領が訪れた。電撃来日に警備のレベルは最高潮に達し、一般市民は公園に近づくこともできない。それでも大勢の人が防護柵越しに大統領の車列に手を振り、スマホで献花の中継に見入っていた。ヒロシマの地に立つ。それ自体が放つ発信力を思う。

ウクライナには同国なりの政治状況があり、来日した各国にもそれぞれ思惑があろう。すぐに理想に手が届くわけではない。だが、リーダーたちが広島で直に犠牲者を悼む光景が、世界の記憶に残るのも確かだ。核廃絶への新たな起点にしたい。きょうから「広島サミット後」の世界だ。岸田首相がギアをあげるのを見たい。

5/21 AIに真似できない感動

8年ほど前、都内の著名なシナリオ教室に通ったことがある。いつか心温まるテレビドラマを描いてみたい。そんな憧れからだった。半年間かけてドラマの骨組みとなるプロットの立て方を学んだ。舞台設定や、登場人物のキャラクターと相関図、物語の流れを決める。

最初に教わったのがストーリーの構成に欠かせない「序破急」の考え方だ。物語が始まる現在地を説明する「序」。次の「破」で主人公は困難に直面し、観客をハラハラさせる。そして「急」で幕を閉じる。展開はしっかりと練る、脇役でもその後の消息を描き込む、伏線を張るなどたくさんのルールがあることを知った。

これらはハリウッド映画の鉄則なのだとか。講師が挙げた手本はスピルバーグ監督の「ジョーズ」だった。その映画の都で今月、脚本家たちが15年ぶりに、大規模なストライキを決行した。本紙報道によると、賃上げなどの待遇改善と共に、人工知能(AI)がシナリオを書く行為を脅かすとその排除を求めているという。

すでに脚本の編集や台詞(せりふ)の修正に使われ始めているそうだ。人間が一生かかってもできない数の名作を読み込み、瞬時にヒットのコツをつかむに違いない。それでも、と悪戦苦闘しながら書いたプロットを読み直して思った。演出の妙、生身の俳優たちが放つ魅力。言葉にできない感動の要素まで彼らは理解するだろうか。

5/20 西鉄の怪童のDNA

いまでは不可能だが、戦後のいっとき、春の選抜高校野球に新1年生が出場したことがある。学制改革による特例だった。高松一高の3番打者もその一人。併設された中学の3年生ながら秋の大会で活躍し、甲子園の土を踏む。後に「怪童」と呼ばれる中西太さんである。

早稲田大進学を目指したが経済的事情で西鉄へ。行商をなりわいとする母が「フトシ、かんべんしてくれ」と、泣きながら契約書に判を押したという。日本中が貧しかった。いきなり新人王を獲得し、西鉄の主軸を担う。劇的な逆転リーグ優勝を遂げた1956年は「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言した年である。

戦後プロ野球の礎を築いた強打者の訃報が伝えられた。本人も認める通り、豪放磊落(らいらく)のイメージは見せかけで、努力の人だった。チームメート、大下弘さんの「奔放」に対し、中西さんは「真摯」。これは義父でもあった三原脩元監督の評だ。積み重ねの重みを知るからこそ、打撃コーチとしても手腕を発揮したのだろう。

黄金時代を築いた野武士たちが次々と鬼籍に入るなか、「西鉄のDNAを少しでも伝えていくのがお遍路たる私の役割だ」と語っていた。つい先日、NHKの番組で栗山英樹さんと語り合う姿を拝見した。2人とも三原元監督を師と仰ぐ。真摯に白球と向き合った怪童のDNAはきっと、侍ジャパンにも受け継がれている。

 

5/19 核兵器廃絶の決意

「外国人に人気の日本の観光スポット」というランキングを旅の口コミサイト、トリップアドバイザーが発表している。外国語による投稿数や内容をもとに毎年作成する。新型コロナウイルス禍の直前、2019年の集計結果を「20年版」として今もネットで公開中だ。

京都の伏見稲荷神社や奈良の東大寺を抑え、首位になったのが原爆の惨禍を伝える広島平和記念資料館原爆ドームなどを含む)だ。特に米欧の旅行者に関心が高い。英語版サイトの投稿をみると「歴史の恐ろしさを直視する場所」「最初は恐怖を感じ、核兵器廃絶の願いに変わった」とある。いずれも米国人の感想だ。

負の歴史の現場を訪ね、死者を悼み教訓とする旅をダークツーリズムと呼ぶ。大事故や災害の跡、元戦地、収容所などが対象になる。調査会社YouGovによれば、原爆投下について米国の高齢者の多くが謝罪不要とする一方、若者は「日本に謝罪すべきだ」が今や多数派だ。被爆地への訪問も変化を後押ししたろうか。

その広島できょう、主要7ヵ国首脳会議(G7サミット)が開かれる。安全保障も重要な議題の一つだ。もはや実際に使用されることはあるまいと思われていた核兵器。しかしロシアのウクライナ侵攻で、使用の可能性がささやかれ始めていると聞く。人類の悲劇の再来をどう避けるか、集まる国々の知恵と意志が試される。

 

5/18 ヒグマとの共生

北海道のヒグマの脅威を、吉村昭のドキュメンタリー「羆嵐(くまあらし)」は緊迫の筆致で描いている。1915年12月、苫前郡の開拓村に現れ、胎児を含む7人の命を奪った巨大グマに老練な猟師が立ち向かう物語だ。ヒグマは農民による銃撃をかわし、集落を恐怖に陥れていた。

岩石のような巨体である。誰もがなすすべもない。「無力感が、かれらを襲った」「かれらは自分たちの肉体が余りにも貧弱であることを強く意識した」――。人間をそんな思いに突き落とすほど、この猛獣の存在感は大きい。いまも北の大地には1万頭以上が生息し、人間たちとの不意の接触はときに悲劇を招いている。

道北の朱鞠内湖では数日前、釣りの男性がヒグマに襲われて死亡したとみられる事故があった。付近にいた成獣1頭がハンターによって駆除されたという。不幸な出来事に胸が痛むばかりだが、最近は札幌市の住宅街でけが人が出るなど出没が急増中だ。知床などでは、車道を平然と歩き回るクマファミリーも珍しくない。

冬眠から覚める時期の「春グマ駆除」を控えてきたのが一因といわれる。ヒトの生活圏との境界が曖昧になってもいるのだろう。この生き物との共生を探るのは、あとからその領分にやってきた人間たちの務めにほかなるまい。「羆嵐」とは、ヒグマを仕留めた後に吹くという強い風のことだ。畏怖のこもった言葉である。

5/17 五穀豊穣の未来

「その悲惨さたるや、牛や馬以下の生活とはこういうのを言うのであろうか」。元農林次官の小倉武一は戦前に東北の農村で見た光景について後年こうふり返った。米価が大暴落し、冷害が追い打ちをかけていた。ある村役場には娘の身売り相談所までできたという。

何としても農家の所得を増やしたい。そう心に決めた小倉が中心となり、1961年に旧農業基本法が制定された。需要が増えそうな分野を応援するのが柱で、その象徴が畜産だった。予想は的中し、肉や牛乳がすっかり食卓に浸透した。だが抜け落ちた点もあった。エサとなるトウモロコシを国内で作ろうとしなかったことだ。

酪農がいま大変な苦境の中にある。ウクライナ危機と円安で輸入飼料の値段がはね上がり、利益を出すのが難しくなった。廃業に追い込まれた牧場もすでにある。鳥インフルエンザでなお混乱が続く養鶏も、エサの高騰に悩まされている。SNSの悲痛な言葉に胸が痛む。戦後農政が残した宿題が、畜産に重くのしかかる。

99年にできた新しい基本法の見直しが、農政のテーマになっている。牛や鶏をいかに安定して飼えるようにするかが焦点の一つだ。風で穂が揺れる田んぼはもちろん美しいが、日を浴びてトウモロコシが真っ直ぐのびる畑もまたすてきだ。元々私たちは五穀豊穣を願っていたはずだ。多様な風景を私たちの未来に。

5/16 優越的地位の乱用

テレビでよく見る歌手や俳優が、ある日を境に画面から姿を消す。「干された」のだ。芸能事務所が、独立したタレントを出演させないようメディアに働きかける業界用語だ。辞めた者を使うのなら、うちのタレントはもう出しませんよ。長くそんな慣行があったと聞く。

4年前、公正取引委員会が一石を投じる。ジャニーズ事務所に対し、退所した芸能人を出演させないようテレビ局に圧力をかけた場合は、独占禁止法に抵触するおそれがある、と注意したのだ。これは市場の公正な競争、という経済の根本的な問題だ。法が禁じる「優越的地位の乱用」にあたる、と業界に警鐘を鳴らした。

対人関係でも社会的地位を背景に、不当な影響力を行使する場合がある。それが大人の未成年に対する性的加害なら話は深刻だ。ジャニーズ事務所に所属していた男性がジャニー喜多川前社長(故人)に性的被害を受けたことを明らかにした問題で、同社はホームページで謝罪した。が、事実関係については明言を避けた。

性的な目的で未成年を手なずけることをグルーミングと呼ぶ。露骨な暴行や脅迫はないが、親身な指導などを口実に、性的行為に誘導する手口である。相手は業界の伝説の大物だ。声を上げたら、不利益を被るかもしれない。言葉巧みに手なずけられたのは、アイドルを夢見る若者だけだったのか。何とも重い問いが残る。