6/30 外国人との共生

渡会紗藍(とかいさらーん、チュープ・サラーン)さん(38)は、タイの難民キャンプで生まれた。5歳でカンボジア人の両親と来日し、外国人が多い神奈川県の団地で育った。自分と同じような子どもの学習を支援する団体「すたんどばいみー」を仲間と設立したのは中学生のときだ。

主催する教室にはベトナム、中国系の子らが通う。日本に長く暮らし、日常生活で言葉の不自由はない。一方で、母語で親と会話するのが難しくなる子も少なくない。宿題を見てもらえず、進学相談もできない。日本語ができるためかえって見過ごされがちな子の居場所をつくろうと団体は教室やキャンプを企画してきた。

ベトナムカンボジアラオスからのインドシナ難民は、戦後の日本が大規模に外国人を受け入れた先行事例だ。当初、後ろ向きだった政府は国内外から批判や要請を受け、1979年に定住を認めた。それからおよそ40年、日本育ちの世代の支援など新たな課題は、外国人との共生をめざすいまの日本のヒントになろう。

渡会さんは中学まで「大学」がどんなところか知らなかった。調査で団地にきた日本の大学生の励ましがなければ、学習支援の活動や自身の大学院進学も実現しなかったという。現在は日本にいながらカンボジアの人材派遣会社で仕事をする。日本に招いた外国人がやがて架け橋となれるような支援を官民あげて考えたい。

6/29 鉄道で思いを馳せる

2月に亡くなった松本零士さんは18歳のとき、ふるさと小倉から東京行きの夜行列車に乗った。かき集めた全財産は700円。ゆで卵を3つ買い、1つだけ食べた。車窓越しに人家の明かりや星を眺めながら家族の顔を思い浮かべ、漫画家として身を立てる覚悟を決めた。

見ず知らずの乗客から酒をごちそうにもなった。「この汽車に乗らなければ銀河鉄道999は絶対に生まれていません」。後になってこう振り返るほど濃密な経験だったようだ。ゴトゴトと揺れに身を任せ、自分自身の内面とじっくり向き合う。なんとも贅沢(ぜいたく)である。こんな時間を過ごせるのも鉄道の魅力の一つであろう。

おととし、小田急線と京王線で起きた無差別襲撃事件の裁判が相次いで始まった。初公判で明らかになったのはあまりに独善的な動機だ。職場で処分を受けた。幸せそうなカップルが許せなかった……。だれもが感じそうなつまずきやいら立ちがなぜ、凶行につながったのか。電車内で家族の顔は思い浮かばなかったのか。

山手線車内では先日、料理人が所持していた刃物を見た乗客が避難する騒ぎがあった。周囲への疑心に覆われた社会はなんとも居心地が悪い。防犯カメラがどれほど増えても、人の内面まで映すことはできない。心の闇を殺意に転化させぬための手立てを考え続けねばなるまい。はたして法廷でヒントは見つかるだろうか。

6/28 中世の動乱とワグネル

先日からインターネット上に「御所巻」なるワードが飛び交っている。室町時代に大名たちが将軍の邸宅を取り巻き、あれこれ要求を突きつける騒ぎをこう呼んだという。受験生必携の山川出版社刊「日本史用語集」にも載っていない、マニアックな言葉である。

それがトレンド入りしたのは、あの騒動のせいだ。ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者、プリゴジン氏が起こした武装蜂起を、御所巻になぞらえているのである。たとえば、足利尊氏の執事の高師直は1349年、尊氏の弟の直義の追放を求めて将軍邸を包囲した。この出来事など、確かに今回の事件を彷彿とさせる。

反乱軍は土壇場で引き返し、流血の「モスクワ巻」には至らなかった。ひとまず衝突は避けられたが、進行している事態は中世の動乱さながらである。メンツを傷つけられたプーチン氏はどう出るか。あれほど息巻いていたプリゴジン氏やワグネルの兵たちは……。そもそも16カ月に及ぶウクライナへの侵攻が異様なのだ。

口さがないネット空間の人々は、こんどの出来事を往年の実録ヤクザ映画に重ねてもいる。幹部との確執が高じて親分に矛先を向けた武闘派。そこに割って入り、まあまあと説得に努めたルカシェンコのおじきが当面は身柄を預かるという場面だろう。なんとも大時代だが、そういう感覚の無法がいま繰り広げられている。

 

6/27 失われた色彩

野見山暁治さんは先の大戦満州ソ連国境に配属された。雪、樹、霧。画家の目には色のない世界と映った。ある日、凍土にカーキ色を見つける。夢中で掘って現れたのはミカンの皮。色のある所へ帰りたい、そう思い涙したと綴った(「人はどこまでいけるか」)。

出征前に一緒に学んだ東京美術学校(現東京芸大)の友人らをおおぜい失った。遺族に届いた遺骨箱に入っていたのは白い貝がらだったり、小さな木片だったり。「ついに色の世界に帰れなかったのは、どんなにきつかったろう」。後に戦没画学生の遺作を集める旅に出たのも、戦争で色彩を奪われた実体験からこそだろう。

日本の美術界を引っ張ってきた野見山さんが亡くなった。100歳を超えてもなお創作を続ける熱量とともに、戦争を冷徹に見つめた視線が印象に残った。「百人が反対しても一人のヒトラーが出れば戦争は始まる」「戦争が二度とこないわけがない。子どものいじめと同じ」。あえて厳しいもの言いで、平和の尊さを訴えた。

残念ながら野見山さんの警鐘通り、世界では豊かな色彩が失われた光景が広がる。ウクライナ侵攻を続けるロシアでは、ワグネルの反乱で泥沼の内戦の予感すらよぎった。兵士の中には争いよりも、芸術を愛する若者がたくさんいるだろうに。世界中で戦没画学生の絵を展示したらいい。画家の言葉が重く響く。

6/26 育児はワンオペに向いていない

「人間の育児はワンオペに向いていない」。生物学者で学生時代に起業した高橋祥子氏の言葉だ。今春、愛読書のインタビューの折に聞いた。高橋氏は「こども未来戦略会議」のメンバーで、取材の数時間後には官邸での会議に赤ちゃんを連れて出席、話題にもなった。

自身、出産して驚いたのは赤ん坊の「弱さ」だったという。食料を探して食べることも危険から逃れることもできない。「こんなに弱いほ乳類はほぼいない。よく人類が増えたなというのが生物学者としての最初の感想」と語っていた。少子化どころではない。よほど頑張って育てなければ、すぐに絶滅する生き物なのだ。

にもかかわらず人口を増やせたのは、集団で育児をしてきたからだと高橋氏はみる。脆弱さが、かえって進化上のメリットになった。弱い状態で産み、ゆっくり育てる環境を整えた結果、ヒトは脳の発達に15年もかけられるようになり、知性を発達させることができた。つまり、人間の育児は集団生活が大前提になっている。

この生物学的な育児の仕組みと育児家庭の大半が核家族という現代の環境とのギャップが少子化の原因ではないか。ならば育児の負担を社会全体で担うのは必然となる。科学から導かれた「育児はワンオペに向いていない」という真理。育児に悩む人も政策決定者も唱えれば、眼前の霧が晴れる魔法の言葉にみえる。

6/25 推し活の魅力

早稲田大学の演劇研究部が「推し活!展」という催しを開いている。アニメの登場人物や芸能人などを熱心に応援することを、「誰かを推す活動」から推し活と呼ぶようになった。若い人の自己紹介では自分の推す対象を語る人も多い。それだけ普及しているわけだ。

同展示会によれば、推しという行為そのものの歴史は古い。江戸時代の歌舞伎には連というファン集団があった。原節子の写真をあしらったうちわはアイドル応援グッズを思わせる。仲間と親しくなりやすいのは昔も今も同じだ。展示会は見学者らの声を掲示しており、利点として目立つのはやはり友達ができることだという。

大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン東京ディズニーリゾートは今年後半、繁忙期の大人1人の入場料(1日券)を1万円超に引き上げる。推しのキャラクターに会えるからとシニア層にもリピーターは多い。受け身で楽しむだけでなく、仮装やダンスなど来場者が仲間と参加できるメニューの豊富さも共通する。

社会学者の中山敦雄さんは著書「推しエコノミー」で、推し活は好きな気持ちの競い合いであり、日本の消費者は世界の先端にいると説く。友人作り、気分の若返り、外出機会の創出などの効果を期待し高齢者施設と大手企業の共同研究も始まった。作品に続き応援の作法を「輸出」する日もくるかもしれない。

6/24 好奇心と人命

土星の周囲を回るたくさんの衛星の一つに「タイタン」がある。窒素を中心とした分厚い大気に覆われ、可視光で表面を見ることができないこの衛星には、ある特別な期待が寄せられている。太古の地球に似ており、生命が存在する可能性が指摘されているのだ。

好奇心を大いに刺激するこの衛星と同じ名前の潜水艇が行方不明になり、海の底で破片が発見された。沈没したタイタニック号の残骸を見学する観光ツアーの最中だった。海中から「たたく音」がするとの報に、一時かすかな希望の光が見えた。だが昨日届いたのは「水圧で破壊された」という最悪の知らせだった。

大勢の犠牲者を出した事故は、人災という要素がどこかに大抵ひそむ。「不沈船」と呼ばれたタイタニック号は積んでいた救命ボートが乗船者に必要な数に遠く及ばず、しかも限られたボートさえきちんと使われていなかった。今回の事故も、のぞき窓が水圧に耐えられるものではなかったためとの見方が浮上している。

人間が海の中や宇宙に活動の舞台を広げることができたのは、旺盛な好奇心や冒険心のおかげだ。だがそこは命の危険と隣り合わせの空間でもある。タイタニック号の事故を教訓に海で人命を守るための国際ルールができた。タイタンは守るべきラインをどこで見誤ったのか。その究明という重い課題が関係者たちを待つ。