1/13 ウクライナは死せず

イタリアの港から出た貨物船が、漂流している小舟から男を救助するシーンで物語は幕を開ける。ときは1982年。ソ連の秘密警察を逃れてきたこの男を、ある人物が訪ねてこう語る。「ウクライナは死せず」。独立運動の闘士が出会い、ストーリーが動き出す。

英国の作家、フレデリック・フォーサイス氏が79年に発表した小説「悪魔の選択」(篠原慎訳)だ。ソ連の食糧危機をめぐる米ソの綱引きに、ウクライナ民族主義者の活動が絡みながら物語は進む。地政学上かなめの位置にあり、複雑な歴史をたどったこの地で生きる人々の独立への願いが、作家の想像力を刺激した。

現実の世界では、ソ連の崩壊を機にウクライナは91年に独立を果たす。だが国際情勢のはざまで揺れるこの国の姿は、彼らにとってなおフィクションの中の出来事ではない。目の当たりにしているのは、国境近くに集結した10万人規模のロシア軍部隊だ。侵攻を食い止めようとする米国と、ロシアが外交で激しく火花を散らす。

悪魔の選択には日本も登場する。国内で建造したタンカーが、紛争に巻き込まれてテロに遭う。それを架空の話として楽しんでいたのも今や昔、日本でも地政学リスクという言葉を度々耳にするようになった。ウクライナ問題を伝える紙面で、北朝鮮のミサイルの記事を見る。各地で高まる緊張が、小説ではない現実を憂う。