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・コロナの第8波で亡くなる人の9割が70歳以上という。高齢者だから仕方ないという論法が許されてはならない。

・何百人、何万人とくくられる統計数字の背後に、かけがえのない生と死を想像する力はあるか。

 

長く記者をしているとカレンダーの眺め方が人とは違ってくる。「あれから何年たったろう」。暦を数えつつ記憶をたぐる日付が増えていく。歴史上の慶事・凶事の日、大災害が起きた日、著名人の命日や誕生日。調べれば、ほぼ毎日が語るべき何年目かに当たる。

終戦記念日前にだけ増える戦争報道は、しばしば「8月ジャーナリズム」と批判される。それでも忘れたままより年に1度でも思い出す方がいい。怖いのは忘却の先にある無関心だからだ。厚生労働省によると今月9日、新型コロナの累計死者が6万人を超えた。1日の死者が500人を超える日も出てきた。

この数字に今、どれだけの注意が払われているだろう。ワクチンや治療薬があり、かつてのようにウイルスを恐れる心配はないのかもしれない。だが第8波で亡くなる人の9割以上が70歳以上という現実に対し、社会に諦めに似た気分が広がっているのが気になる。「高齢者だから仕方ない」という論法は許されてはならない。

「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならない」。シベリア抑留を生き延びた詩人、石原吉郎は回想にこう記した。何百人、何万人とくくられる統計数字の背後に、かけがえのない生と死を想像する力はあるか。今日は国内初の感染確認から3年と8日目。特別な日でなくとも、失われる尊い命を思う。