4/21 スーダンの子どもたち

内戦の末に南北スーダンに分離し、別々の国として歩み始めたのは2011年7月のことだ。日本は東日本大震災の直後だった。紛争と天災、共に惨禍からの復興をめざし互いに励ましあおう。そんな思いを込めて当時、スーダンの子供らを招くイベントが企画された。

同国で医療活動に携わるNGOロシナンテス」の支援で来日したのは22人の子どもたち。津波の傷跡も露わな宮城・閖上の運動会で、人生初の障害物競走に挑み、紅白リレーを駆けた。「将来は日本の大学院に進みたい」。参加した子が後に語った希望を、ロシナンテスを率いる医師の川原尚行さんが著書で紹介している。

国と国の関係も、結局のところ現場では人と人に行きつく。草の根の交流が果たす役割は他に代え難い。ただそれも安全な活動環境が大前提だろう。スーダンの政情緊迫で、防衛相が自衛隊機の派遣を命じた。周辺国の拠点で情勢を見極めるという。在外邦人保護では過去に出遅れた例もある。万端、漏れなきを期したい。

首都ハルツームの病院は半数が機能停止したと伝わる。ロシアのウクライナ侵攻に伴う食糧難も深刻化しかねない。「戦争をしないことこそ究極の『医』になる」。そう訴えてきた川原さんは「一旦退避しても支援は続けたい」と苦渋の表情を浮かべた。子供たちの笑顔と未来をいかに守るか。問われるのは世界の知恵だ。